日本の水耕栽培の歴史

2014年8月13日 - 未分類

日本における水耕栽培の歴史を調べてみました。滋賀県立図書館で”世界一の水耕農場”という冊子を見つけて読んでみました。

日本の敗戦と進駐軍の進出、当時、人糞を肥料とした日本の野菜を食べたくないので、化学肥料を使った野菜を作る農園を建設したのが、日本における水耕栽培の始まりだそうです。水耕栽培と言っても、養液栽培に近いもので、ガラス温室の中に、水路のような栽培床を作って礫を敷き、ポンプで養液を流したようです。

大津化学農園

大津水耕農園(大津化学農園) 昭和21年着工(調布よりも少し早い)。琵琶湖西岸 大津海軍航空隊基地 10haで、坂本(滋賀里)あたり、で京阪電車で搬送していた。調布よりも規模は小さかったが、毎年の生産収量や品質は大津のほうが優っていた。トマト、きゅうり、セルリー、ラディッシュ、白菜、レタス、パセリ、ピーマン等を栽培。琵琶湖の水を濾過して使っていた。設備の建設は竹中工務店が担当した。現在のタキイ種苗が種を提供した。陸軍調布飛行場 調布水耕農園(調布科学農園) 昭和21年5月着工 幅1m、長さ100mの栽培床を2800床設置 22ha トマト、チシャ、ラディッシュ、キャロットの栽培 化学農園は、土壌栽培よりも3倍から10倍の収穫があったそうです。しかし、栽培後の栽培床の掃除や消毒、殺虫に苦労していたようです。USAらしく、当時から、農薬漬けの野菜を作っていたようです。参考文献  榛沢茂量 編,”世界一の水耕農場,” 郷土史,大沢6,2011年11月

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